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沖縄慰霊の日によせて [日記]



皆様、こんばんわ。
花人街道です。
今日、6月23日は「沖縄慰霊の日」太平洋戦争沖縄戦における日本軍の組織的な抵抗が終結した日です。
沖縄の人々は戦後64年経った今も、戦争の負の遺産を背負い続けている。
この悲しい事実を私たちは決して忘れてはならないと強く思います。
戦争で犠牲になった全ての方の霊に祈りを捧げ、二度と再びこの愚行を繰り返さないことを誓います。

私事で大変恐縮ですが、花人街道の母は戦時中、満州に生まれ2歳の頃まで大陸で暮らしておりました。
この頃の記憶はぼんやりとしか残っていないようですが、広大な草原を蒸気機関車が走っていたのを覚えていると、いつか申しておりました。
やがて戦局が悪化し、ソ連の参戦とともに満州にいた人達は日本への引き上げを余儀なくされていきます。
僕の母もそういった人達の一人だったのです。
この時、広大な大陸をソ連軍、中国軍に追われながらの引き上げで大勢の人達が犠牲になっています。
そして、引き上げの途中で親と生き別れになったり、現地の中国人に預けられたりしたのが中国残留孤児です。
残留孤児の肉親捜しでは未だに身元不明の人達が1500名以上もいるそうで、時間の経過と共に身元の確認はますます難しい作業になっていくようです。
幸いにも母は、家族共々無事に日本へ引き揚げて来ましたが、その時の悲惨な様子は永遠に母の記憶に残ることとなりました。
今ではメディアで取り上げられることも希になった残留孤児の問題ですが、10数年前、TVのインタビューに答える残留孤児の映像を見ながら母が独り泣いていたのを、僕は忘れることが出来ません。
それは、こんな身近に戦争の爪痕が残っていることに初めて気が付いた瞬間でした。

今日の「あの日のような今日」はいつもと違い、硬い雰囲気でおおくりしてしまいました。
けれども「沖縄慰霊の日」を迎えて、戦争という行為についてもう一度花人街道は静かに考えてみたいと思います。






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kaoru

おはようございます。
私の父は神戸大空襲で全て焼けて
失ってしまいましたが命が助けられて
有り難く感謝だと言っていました。
お気母様も大変な目に遭われたのですね。
64年経っても戦争の遺産を背負い
続けさせられている方が沢山いますよね。
もう二度と愚かな過ちを繰り返すことなく
戦争の悲惨さも後生に伝え続けて
全ての人々が平穏に暮らしていける
世の中になることを切に願います。
by kaoru (2009-06-25 09:30) 

花人街道

Kaoru様
ほんとにそうですね。
大切な問題なのに、いつもは忘れてしまっている。
そんなものが沢山あるような気がします。
by 花人街道 (2009-06-25 20:06) 

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